東京2020オリンピック・パラリンピックから1年。東京都では8月と9月を「TOKYOパラスポーツ月間」として、さまざまな体験イベントや用具の展示などが行なわれました。9月23日に南町田クランベリーパークで開催された「TOKYOパラスポーツパークin南町田」で、日本パラ陸上競技連盟・副理事長の花岡伸和さん(車いすマラソン アテネパラリンピック6位、ロンドンパラリンピック5位)に、「パラ陸上・車いすマラソンの魅力」や「多様性のある道路環境」などについてお話をお聞きました。
【花岡伸和(はなおかのぶかず)】
車いすマラソンパラリンピアン・日本パラ陸上競技連盟副理事長。1992年の高校3年時にバイク事故で脊髄を損傷し車いす生活に。1994年より車いすマラソンの競技生活を開始。2004年 アテネパラリンピック(車いすマラソン男子T54) 6位入賞。2012年 ロンドンパラリンピック(車いすマラソン男子T54) 5位入賞。大阪府富田林市出身。
ただ走ることが好きだった少年がパラリンピックへ!
僕、スポーツ万能ではないんですよ。子供の頃から球技も泳ぎもダメだったんです。なんで学校の体育の時間が球技だと嫌だし、夏になったらプールが嫌で、そういうタイプだったんです。ただ走ることは好きでした。
やっぱり自分の好きなことってそれなりに上達するじゃないですか。僕もわりと速いほうだったんです、走るのだけは。運動会の徒競走とか冬の持久走、そういうもの好きでしたし、得意な子やったんですよね。でも他の運動は全くできんのですよ。いわゆるスポーツ劣等生だったかもしれないです。そのなかで走るという事は、子供の頃からスポーツへの劣等感を感じさせないものでした。
その頃から短距離よりも長距離が得意でした。毎朝遅刻しそうな時間にしか学校に行ってなかったので、学校までダッシュしているうちに速くなったみたいな感じでもあるんですけどね(笑)。
それで、車いすになってからも苦手なものは変わらないというか…車いすバスケもやりましたし、車いすテニスもやりましたし、水泳にもチャレンジしました。でも、やっぱりもともと苦手なものは、歩けようが歩けなかろうがあんまり変わらなくて。わりと自然な流れで、「自分には走る競技が向いてるんや!」みたいに思い込んでいました。
なので、車いすレーサーに乗って競技を始めた頃から既に「自分はパラリンピックに行くんや!」って思い込んで。僕、思い込みは激しいほうなんです。でもいくら思い込んでもアテネに出るまでに10年かかってるんですけどね。簡単には出られませんでした(笑)。
「TOKYOパラスポーツパークin南町田」のトークショーで車いすマラソンの魅力を語る花岡氏。
F1マシンのような車いすを使うマラソン競技
読んで字の如く、車いすで42.195キロを走るっていうのが車いすマラソンなんですが、3輪の車いすレーサーを使っていうのがいちばんの特徴です。一見してわかるように、病院でよく見る車いすのイメージからはかけ離れています。
この車いすレーサーは基本素材がジュラルミンという軽くて強度の高いアルミニウムで、メインフレームにはカーボンも使用しています。素材的にはF1カーと変わらないような作りになっている、走るためだけに作られたマシンなんです。
実際に花岡氏が2012年のロンドンパラリンピックで5位になった際に使用した車いすレーサー。OXエンジニアリング製で当時は稀少なカーボンフレームを使用したモデル。
さらに最近は技術革新が凄くて、そのぶんお値段も高くなっていったりするんですけれども(笑)。足で走るマラソンで靴の開発がタイム短縮に貢献しているように、車いすレーサーの開発がタイム短縮に繋がっています。昨年の東京パラの後ですかね、その年の11月に大分で開催された「大分国際車いすマラソン」では、東京パラで金メダル取ったマルセル・フグ選手が世界記録を更新しています。
フグ選手の車いすレーサーは、ザウバーというF1マシンを作っている会社が作ったもので、非常に高価で技術的にも凄いものが盛り込まれているんです。選手は当然フィジカルも鍛えなきゃいけないんですけども、そのフィジカルを十二分に活かしてくれるのがこのマシンなんです。その道具と体のマッチングっていうところを考えると、車いすマラソンや車椅いす陸上というのはメカ好きにも見てもらえる、楽しんでもらえる競技だと僕は思っています。
僕はいろんな競技用車いすがある中で、この車いすレーサーがいちばんかっこいいと思っているんです(笑)。これは僕がロンドンで乗った車いすレーサーなんですけども、当時の値段で百万円くらいしました。でも、今年の東京パラでトップ選手が使っていたマシンは5百万円以上しますね(笑)。
車いすマラソンにはひとりひとりにゴールがある!?
もともと健常者の頃も、短距離より長距離が得意だったっていうのもあるんですけれども、日本のマラソン文化っていうものにも大きく影響されたと思います。マラソンの文化っていうのは日本はすごくしっかりしているんです、人気もありますし。
車いすマラソンの大会で日本でいちばん有名な「大分国際車いすマラソン」が1981年に始まったのも、“日本パラリンピックの父”と言われる中村裕先生が「どうやったら障害者の能力を世に知ってもらえるか?」と考えたからです。
「日本人はマラソンが好きだから見るだろうと、そしてそこで車いすが走りすごいタイムでゴールできたら、障害者の能力を多くの人に伝えることができる」そういった、中村先生の考えに僕自身も大きく影響を受けたんだと思います。
1981年に始まった「大分国際車いすマラソン」は、今では世界中からトップアスリートが集うメジャーな大会へと成長。
僕が競技を始めた頃は、日本の車いすランナーってまず大分のマラソンを目指したんですよ。今なら短距離から初めていって、スプリント能力を伸ばしてから徐々に距離を伸ばしつつ向いている距離、得意な距離の種目に分かれていくという感じなんですが、その頃の車いす陸上はみんながまず大分に出る!という目標を掲げてやっていました。
上を目指してしまうと勝たないと気持ちよくないんですけれども、車いすマラソンのいいところって自分が進めば必ずゴールできるところなんです。必ず完結できる個人競技なんですよ。例えばチーム競技とかだとそれがなかなか難しい。自分の目標だけでゲームを完結することができない。車いすマラソンの良さは、誰にでもそれぞれのゴールがあって、自分さえ頑張ればゴールできるというところです。
そして、そうやってゴールすることができたら、自分自身をよくやったとほめられる。自己を肯定できるんです。さらにそこからまた次のチャレンジに向かう自信や気力が湧いて出てくる。心理学でいうところの自己効力感っていうのがあるんですけども、次はやる前からできる気がするんです(笑)。そんな自己肯定感や自己効力感を僕はスポーツを通して手に入れた気がします。
スポーツで“荷物を降ろし”違う自分になる!
スポーツの語源は「deportare(デポルターレ)」と言われています。ラテン語で荷物を降ろして休むとか、仕事などから一時的に離れて自由になる、という意味です。非日常って意味もあって、毎日のルーティンワークから離れて好きなことをして自由になるっていうのがデポルターレで、そこから転じてスポーツになりました。
その考え方でスポーツを捉えると、もっと幅広くていいと思うんです。勝ち負けがあってはじめてスポーツだという考えの人が多いのでしょうが、そういうものだけがスポーツではないと思うんです。
僕のように障害で歩くことができない、何かができないって“荷物”であると思うんです。スポーツを通してその荷物を降ろして自由になれるって考えると、障害のある人にとってのスポーツっていうのはもっと広がっていってもいいのかなと。
現在、花岡氏は体験イベントや講演会などで、車いすマラソンやパラスポーツの魅力を広める活動を精力的に行なっている。
僕の場合は、「バイク事故で助かった命をちゃんと使わなあかんな」っていう思いがありました。受傷したのが17歳だったので、単純だったのかもしれませんけど(笑)。その命をちゃんと使える方法が、僕にとってはスポーツで車いすマラソンでした。
でも、パラリンピックでメダルを獲ってどうのこうのとか、何分何秒で走るとか、そういう狭いところの話ではなくて、人間が幸せになるための手段。そういう考え方でスポーツを捉えていきたいな、というのが今の僕の考え方です。そういうふうに発信することができれば、障害を受けたりして、人生に立ち止まっている人達の中から、次の1歩が出せる人が増えると思うんです。
パラアスリートとして見た、日本の道路と世界の道路の違い
日本の道ってすごく綺麗なんですよ、他国に比べると管理も行き届いてる。海外の道だと路面のクラックにタイヤがはまるとか、でっかい穴が空いているとかよくあるんです(笑)。
海外ではそういう路面があたりまえなので、それも含めてレースなんですけど、日本はまずそういう心配がない。なので、純粋に記録を目指した時に思い切りやれるという環境であると思うんです。これは他国の選手にとってもそうです。
中村先生が世界初となる大分国際車いすマラソンに設定したコースは、段差が少なく、歩道も広い大分市内を周回するようなものでした。さらに大分沿岸部のアップダウンの少ない地形とも相まって、今日まで大分国際車いすマラソンでは好記録が重ねられています。
そういった意味では、日本は道路をスポーツに使いやすい国ではあると思うんです。ただ車輪のついたスポーツへの理解度がすごく低い。モータースポーツもそうですし、自転車競技もそうなんですよ。
それがどういうところに現われるかっていうと、海外の自転車文化が盛んな国ってバイクレーンがあるじゃないですか。最近は日本でも自転車レーンのピクトグラムが描かれるようになりましたけど、道路の幅が変わってないのに…あんなんだけ描いてもねぇ(苦笑)。
東京パラリンピック選手村近くのピクトグラムレーン。各所に側溝蓋などもあり自転車以外が走るには十分とはいいがたい広さ。
あれが描かれてからノーヘルのママチャリとかが、道路にガンガン出てくるようになって、「ちょっと逆に危ないわ」て思うんです。自転車ブームもあって、ロードレーサーを乗る人とかもすごく増えましたけど、やっぱり環境がついてくるのはもっと後なんです。みんながやっているから環境が変わっていくっていうのは確かにあると思います。でもそこが日本って極端に遅いんじゃないかなという気がしています。
車いすの人間が乗る乗り物って最低3輪で幅があるじゃないですか。だからたとえピクトグラムが描いてあったとしてもそこを走るのは難しいんですよ。以前、アメリカに1カ月ぐらい練習に行った時、ロングビーチの横の道を自転車に交じって車いすレーサーで走ったことがあるんです。それが日本とは全く違う環境で、もうめちゃくちゃ気持ちがよくて、あーこれがロードワークなんだって思いました。
アメリカの選手はそれがあたりまえなんですけど、日本はやっぱり練習環境としては難しい感じですね。選手時代は日本の道路でも練習していたんですけども、危険を感じたことはけっこうあります。僕自身が気をつけていたとしても、やはり周りの車を運転するドライバーの車いすレーサーに対する認知度が低い。あたりまえですよね、車いすレーサーが平均時速30キロで走るなんていうコトを知らない人が大半ですから(笑)。
東京パラリンピックから考える多様性ある道路
東京パラリンピックは始まりだと思っています。これは招致が決まってからずっと思っていたことなんですが、東京オリパラをゴールにしがちですけども、そこが始まりだと考えていました。
僕はスポーツの価値のひとつに、「スポーツは人と人をつなぐ」っていうのがあると思ってるんです。東京オリパラでいろんな人同士がつながったと思うんですよ。こうしてインタビューしていただいているのも、たぶん東京でパラリンピックが開催されていなければこの時間は無かったんじゃないかなと思います。こうしていろんな人と話をできるというつながりができたので、今日お話しさせてもらっているようなことを、とにかく伝えていこうと思っています。
ただ、これまでの日本のスポーツって個人メリット止まりっていうのが、障害の有無にかかわらずあると思っているんです。それが問題で、スポーツ界が発展しない原因のひとつでもあるんです。例えば「車輪のついた乗り物のスポーツに対していい道路環境作りましたよと、でもそれって社会的メリットどこにあるんですか?」っていう話です。個人的なメリットだけでは、多様性のある道路の実現は難しいだろうなと思っているんです。
僕自身も具体的な社会的メリットを見つけられてはいないんですけども、ただそれが見つかれば事故とかも減ると思うんですよ。移動手段の選択肢は多ければ多いほど安全になると思うんです。バスや電車がない田舎だとどうしても車に乗らないといけない。でも高齢ドライバーとっては、それは非常に危ないことになってしまいます。
でも、その時に他のモビリティーを選択できる。そしてそのモビリティーが走れる環境がある。それって事故が減ると思うんです。パーソナルモビリティーの研究はトヨタさんとかでもやっていますけれども、それが走れるところがないっていうのが現状かなと。車でもない自転車でもない、その間の乗り物が走れるレーンが道路にあったら、多様性が広がり交通事故も減っていくんじゃないかなと思っています。
ピクトグラムレーンを路上駐車に使う車両も多く、現在の日本の道路環境はほぼ車の独占状態。
「あると便利」から「ないと困る」という考え方から生まれるもの
日本の電動車いすの最高速度って6km/hなんですけど、海外は15km/hのところもあるんです。それは15km/hで走れる環境があれば、危なくないっていう理屈なんだろうなと。だから、「幅の広い自転車レーンを車道につくりました。でもそこは自転車も走るし、スピードの出る電動車いすも走る」。そういう考え方でいけば、ちゃんと棲み分けもできる気がします。スピードの出る電動車いすがどれぐらい需要があるのかわからないですけれども、それが走ってよし、ってなっていることが重要かなと思います。
僕、いつも駅でエレベーターに殺到する人たちを見て思うんですけど、「あると便利」と「ないと困る」っていうのは違うと思うんです。日本の道路って「あると便利」にしかまだなってないんだと思うんです、自動車だけが我が物顔で走れるみたいな。「ないと困る人」たちが道路から排除されている気がします。
車いすマラソンや自転車競技など、車輪がついたスポーツにとってもっと寛容な道路環境を作ることって、難しいところ合わせだと思います。簡単に合わせられるところではない。それこそ道路にピクトグラムだけを描いて、はいどうぞっていう話ではないので。
でも、ちゃんと幅3メートルくらいの自転車レーンを整備して、はいどうぞとできたら自転車は走れる、速い電動車いすも走れる、車いすレーサーやハンドバイクも走れるみたいな。そこから次世代の移動手段の選択肢がどんどん増えて、安全で健康的な環境が作れるかもしれない。そしてそれがゆくゆくは社会的なメリットのひとつになっていくのではないかなと思っています。